2010年12月26日日曜日

12月20日~26日「クーリエ・ジャポン2011年2月号~5つの“不均衡”を是正すれば2011年に幸福の時代が始まる~」「この国を出よ(後編)」

今週は英語の勉強を5時間しました。

【ひとこと】
いよいよTOEICのテストが1ヶ月後に迫ってきました。約5年ぶりなので、緊張します!

【今週の本】
「クーリエ・ジャポン20112月号~5つの“不均衡”を是正すれば2011年に幸福の時代が始まる~」

実際、世界には不安が蔓延し、幸せが足りていない。その真の問題は、モノがないことにあるのではない。世界はかつてないほどの豊かさを経験している。ブータン首相の言葉を借りれば、幸せは「持続可能な環境のなかで、物質的な快適さと精神的な成熟とが賢い均衡」を保っている状態から生まれるものなのだ。いま、不均衡が最も強いのが米国だ。経済的な問題が現実に存在しているにもかかわらず、米国は依然として生産的で活力に満ちている。マンハッタンにあるアップルの店舗には昼夜を問わず長い列ができている。モノは溢れているが、米国人に幸福感はほとんどない。もちろん、米国だけではない。世界中にバブルと不均衡が生じている。中国は神業的な経済発展を追求する過程で空気と水を汚染し、ブラジルとインドネシアは世界に残存する熱帯雨林の大規模破壊を容認してきた。いまこそ、新しい「賢明な均衡」を目標にすべきだ。成功のカギは「何が欲しいのか」と「何が必要なのか」をしっかりと考えて、私たちひとりひとりの活力のバランスを立て直すことにある。
最初に是正すべきものは「貧富の差」だ。貧困層と富裕層とのあいだに存在する「文化の不均衡」を正す必要がある。貧富を問わず、適正な健康、質の高い教育、社会への全面的参加の道が、すべての子どもに開かれていなければならない。
2番目は「現在と未来の不均衡」だ。私たちはいま、金融市場の残骸をふるいにかけているところだが、絶対に未来への釣銭をごまかしてはならない。
3番目は「生産活動と自然の不均衡」だ。私たちはGNPを計算するとき、伐採材木、絶滅危惧種の過剰捕獲を当たり前のように国民所得に組み入れている。だが、それは自然資本の搾取だ。いま、私たち自身の破壊力についての認識を改め、手遅れになる前に引き返すべきだ。
4番目は「仕事と余暇」だ。技術が開花したいま、私たちは過度に“ハイ”になっている。米国をはじめとするハイパー消費主義経済のなかにいる人たちはのぼせすぎている。少し頭を冷やし、労働時間を短縮すれば、より多くの人が仕事を得て、長い目で見ると健康で幸せな暮らしができるようになるかもしれない。
5番目は「国家安全保障の概念に対する視点」だ。米国の軍事費は年間約7500億ドル(64兆円)だが、最貧諸国の災害や飢饉に対する援助額はわずか150億ドル。
貧困、環境、安全保障といった問題はどれも、私たちの技術と知性をもってすれば解決できないものではない。しかし、私たちの問題はそれではない。究極の幸せの源を取り違えていることが真の問題なのだ。もし、私たちが、自分たちが持っているツールの力と、人生のより深い喜びへの飽くなき思いをしっかりと見つめることができれば、2011年は幸福の時代の始まりになりうる。

【ひとこと】
幸せかどうかは人の物差しで測るものではない。自分がどうありたいか、どうなれているかで判断するべきであると思います。このことが分かっている人は幸せ、つまり豊かな心を持てていると思います。

「この国を出よ」大前研一×柳井正著


5<企業の「稼ぐ力」>21世紀のビジネスに「ホーム」も「アウェー」もない
グローバル化は最大のビジネスチャンスだ-柳井
日本にこだわり過ぎると、世界にあるビジネスチャンスを逃しかねないと考えています。お隣の中国を見れば一目瞭然です。中国の経済成長の中心となっているのが、2000年代に入って誕生した中間層と呼ばれる社会階層です。そのボリュームは2010年には総人口の23%、約3億人となっています。今後の成長を勘案すれば、中国には日本が3つも4つもあるような巨大市場が広がっているのです。

世界に通用する「最大公約数」ビジネスモデル-大前
最大公約数のファッションとは、国や民族ごとに見極めなければならないアウターではなく、どの国、どの民族にも共通するインナーや定番アイテムのことです。いつでもどこでも誰にでも着てもらえる、共通項の多い商品、それが最大公約数としての商品ということになります。商品数が必然的に絞られる上、コストパフォーマンスに優れていれば、どの国、どの民族の市場でも成功する確率が高いわけです。

ユニクロも“追い込まれた末”に飛び出した-柳井

GEやサムスンは人材育成に1000億円かける-大前
日本の多くの企業は、リーダーシップ教育の必要性を説き、企業研修に取り入れています。しかし、自社で教育プラグラムを組むところはほとんどなく、外部に丸投げする企業が多く見受けられます。GEは徹底したリーダーシップ教育を実践しています。まず、10万人規模の社員の中から、リーダー候補とされる人材を約1000人選びます。そして、1956年にGEが開設した世界初の本格的な企業内ビジネススクール、クロントンビルでリーダーシップ教育を行います。続いて、サムスンの例です。金額もさることながら、その内容に驚かされます。まず、アジアや中東、ロシアやブラジルなどに、「とりあえず現地で暮らしなさい」と若手社員を送り込みます。派遣されるのは毎年数百人、期間は1年間です。その間、若手社員は何をするかというと、給料は支払われますが実質的な仕事はせず、現地で人脈づくりや語学力の向上、歴史・文化・風習の勉強に励みます。人材育成に1000億円、すなわち1%を投じるグローバル企業と、売上高の0.1%で十分と考えている日本企業と-しかも景気が悪くなるとまずここを削る-この違いは、そのまま世界市場における日本企業の低迷に繋がっているように思えます。

「次世代リーダーは外国人」の可能性もある-柳井

「優秀な外国人」が競争相手になる時代-大前
これからはアジアやアフリカの人材に、もっと目を向けなければなりません。興味深い事例を紹介したいと思います。それは大塚製薬が2007年に設立し、私自身も理事を務めている財団法人「大塚敏美育英奨学財団」です。この財団は、アジア・アラブ・アフリカ地域の国籍を持つ留学生に対し、年間100万~150万円の奨学金を給付しています。人数は、年間で50人くらいです。彼らの中には本当に惚れ惚れするぐらい優秀な人材が多い。中国人留学生の多くは中国語と日本語と英語を流暢に話す「トリリンガル」です。今後はこうした優秀な人が日本企業に就職するでしょう。

ビジネスマンの「民族大移動」が始まった-柳井
我が社では今後、店長以上の役職にある社員は、国籍に関係なく中国、韓国、シンガポール、イギリス、アメリカ、フランス、ロシアといった世界中の店舗に赴任してもらうつもりです。「言葉に自信がないから無理です」とは言わせません。20123月から社内会議や文書で使う言葉を英語に統一する「英語の社内公用語化」の方針も、この一環です。僕は、国際社会において日本が弱いのは、島国という地理上、異文化を融合しなかった点にあると考えています。その結果、海外にビジネス展開しても、現地の人間と価値観や考え方の違いに柔軟に対応できずに失敗してしまうのです。

未熟な英語がグローバル化を阻んでいる-大前
うまい英語とは、流暢に話せることではありません。世界の共通語は英語ではなく、文法もイントネーションも不正確な「ブロークン・イングリッシュ」なのです。ビジネスの世界でも一番大切なのは、相手にどんなことを伝えたいのか、どんな結果を残したいのかを考えることです。

進出した地域で貢献してこそグローバル企業-柳井

6<国家の稼ぐ力>日本再生のための“経営改革案”を提示する
所得税・法人税ゼロで海外からの投資を呼び込め-大前

「費用対効果」も考えない政府は、もっと小さく!-柳井
企業や産業は、時代に合わなくなったら、死滅するものです。時代の変化に合わせて変革できない企業や産業は、いくら政府が保護政策を取っても、しばらく延命するだけで、再び元気になることは考えられません。官僚に「費用対効果」という基本的な意識が欠落している以上、政府・行政はできるだけ小さくして、国の業務は外交や安全保障など国民の安全を守ることに限定し、ほかのことは都道府県などに権限移譲するべき時が来ています。

「政治家育成」「一院制」「官僚リストラ」の三大改革-大前
政治家と官僚を本当に「日本のため」に仕事をする存在に変えるには、三つの大手術が必要だと思っています。一つ目は、政治家の人材育成です。二つ目は、参議院を撤廃して「一院制」にすることです。国会議員の年収はざっと3000万円ほどです。公設秘書3人分の給与も国が負担しているので、約2000万円が加算されます。このほか、様々な費用が支給され、だいたい議員1人当たり年間6000万円かかる勘定です。されに、議員会館や議員宿舎も当然コストです。これらを全て合計すると年間7000万円費用がかかっています。参議院はこれらの人たちが現在242人いて、年間約170億円かかっているわけで、費用対効果を吟味する必要があります。三つ目は、官僚のリストラです。

「何も決められない」政治家が官僚をダメにする-柳井

教育の世界にも「三つのC」の考え方を導入せよ-大前
戦後、日本が工業化社会で高度成長するためには、従順で均質な学力レベルを持った人材を大量生産する教育が必要でした。しかし、もうそれは時代遅れになっています。これからの教育に「三つのC」の観点を導入することを提案します。最初に「C」。教育にとっての「顧客」は、将来採用してくれる企業です。教育の本質を「どの企業も欲しがるような人材」を育成する方向へと転換します。次の「C」は競争相手。今後は国内ではなく、中国やインドなど海外の人が相手となります。国際競争でメシ食べていくために必要になるのが、「英語力」「IT」「ファイナンシャル」の“三種の神器です”。最後の「C」は会社です。教育では「自分」に置き換えます。要するに、今の自分が置かれた状況や存在する問題を把握して、方針や解決策を探る力を鍛えることです。

エピローグ
日本を出よ!そして日本へ戻れ-大前
今の日本に求められるのは明治以来「4回目の海外雄飛」です。幕末以来、何度も海外に打って出て世界の人々を驚かせてきた日本人に、同じことができないはずがありません。「裸にした日本人」「開き直った日本人」となって世界という広大なジャングルで自活し、生き残っていけるだけのコミュニケーション能力や技術力、経営力を身につけるのです。熱きビジョンと不屈のスピリットを胸に、日本を出よ!ジャングルで生き延びる知恵を身につければ、あなたたちの前途には洋々たる未来が広がっているのですから。

【ひとこと】
やはりこれからは、ますますビジネスがグローバル化しますね。それに伴い、英語はマストになりそうですね。

【お知らせ】
今回のブログに対して、参考になるコメントを寄せてくださった方、1名様を本場スペインのフラメンコを見ながら、地中海料理がいただける新宿エル・フラメンコにご招待させていただきます。

2010年12月19日日曜日

12月13日~19日「KAGEROU」「この国を出よ(中編)」

今週は英語の勉強が2時間でした。

【ひとこと】
・・・

【今週の本】
KAGEROU」斎藤智裕著

主人公の中年男ヤスオは会社をリストラされ、借金で首が回らなくなったので自殺しようとする。ビルの屋上から飛び降りようとしたところ、黒いハットをかぶった黒服の謎の若い男キョウヤタカシに寸前で阻止される。男は臓器提供グループの一員で、対価として数千万円という高額な報酬を田舎の両親に送ることを条件に、ヤスオは男と死後の臓器提供の契約を結ぶ。ヤスオは詳細な診断を受け、肉体の全てについて綿密に査定される。両親向けにダミーの死体を作り、自らの死を偽装する過程でひとりの美少女アカネと出会う。アカネは生まれつき心臓が悪く、やっと提供者が見つかったので数日後に心臓の移植手術を受ける予定だという。自分の心臓がこの少女に使われるのなら良いかなとヤスオは考える。手術台の上で主人公は目覚める。本来目覚めるはずではなかったが、麻酔の手違いがあったのだと説明を受ける。上半身を起こすためのベッドのハンドルを人工心臓にはめ込んでみるとぴったりとはまって手回し式の携帯人工心臓となり、ベッドから起き上がって動けるようになった。移植手術は成功し、アカネはもうすぐ退院できる。いなくなった自分を探す関係者を避けてヤスオとアカネは病院内の隠れ家に逃げこむ。アカネに心臓のハンドルを回してもらいながら、ヤスオはアカネの膝の上で少し眠る。血液型を確認すると、アカネの心臓が自分から抜き出されたものであることは間違いなかった。契約を履行するためヤスオは手術台に戻る。ヤスオの体はバラバラにされ、各受給者に臓器が振り分けられる。その時、ヤスオを連れてきた黒服の男が突然倒れる。男の脳の血管が破裂し、その機能を止める。男は目覚める。鏡を見て「嘘だろ……」とつぶやく。アカネの元へお見舞いに行く。ヤスオだけが知っているアカネとの会話の内容を男は知っている。男はアカネの心臓に耳を当て、その音を聞く。

【ひとこと】
愛する者、守りたい者があって初めて人は生きようとするのではないか・・・当たり前のようだけど、改めて実感した。

「この国を出よ」大前研一×柳井正

3<企業と個人の“失敗”>変化を嫌う若者だらけの国を「日本病」と呼ぶ
仕事への志も貪欲さも失った日本人の末路-柳井
松下幸之助さんや盛田昭夫さんといった偉大な経営者は、どれだけ会社が成長しても、貪欲に勉強する姿勢を持ち続けていました。ただ、ここ10数年、もてはやされているベンチャー企業を見ていると、残念ながら、「変化し続けようという姿勢」を感じる会社がほとんどありません。彼らの中にはビジネスをマネーゲームだと捉えている人が少なくないように感じるのです。だから、IPOで数十億円の資産を手にしたり、売上高が数百億円レベルになると、それだけですっかり大企業の経営者になったと錯覚してしまう。

なぜ日本人は成長する国や企業に学ばないのか-大前
国でも企業でも、成長戦略を描く時は、伸びているところを参考にするのが基本中の基本です。にもかかわらず、日本人は海外の優れたものに目を向けようとしません。例えば、台湾やシンガポールの「強さ」を真に理解している日本人はそう多くはありません。私は、若い人たちだけでも、こうした世界の優れた国や企業の取り組みに着目してほしいと思って長年、訴え続けています。ところが最近の若者は、以前に比べてますます積極性を失っています。その背景には、教育の問題があると思います。日本では、高度成長期以来、「大量生産」に適応する人材を育てています。自分で「考える」という力がないのです。そんな知識偏重の日本とは正反対の教育を実施しているのが、北欧諸国です。「考えること」に重点を置き、問題をクラスでディスカッションして結論を導き出す「ロハス教育」を行っています。

「サラリーマン根性」の蔓延とともに日本経済は衰退した-柳井
僕は「サラリーマン」と「ビジネスマン」は違うと考えています。ビジネスマンは自ら考えて行動しますが、サラリーマンは上司から指示された仕事をこなすだけ。本来、仕事とは顧客のために汗を流すものです。サラリーマンは、そうした本当の意味での仕事をしていないにもかかわらず、毎月給料が振り込まれるので生活は安定しています。そのせいで「この豊かな社会はいつまでも続く」と錯覚し、とにかく安定を願い、受け身で指示を待つ「サラリーマン根性」が国の隅々まで棲みついてしまったのです。

4<ビジネスマンの「稼ぐ力」>「理想の仕事」探しより「自分で食える」人間になれ
「基本」を学ばない“丸腰”社員が多すぎる-大前
ビジネスマン一人ひとりの問題解決力が問われているわけですが、多くの人が、目の前にある問題の本質を捉え、それをどう解決していくのか-その基本となる勉強をしていません。もちろん、本を読んでいないわけではない。でもそれは小手先のビジネス本やハウツー本ばかり。これでは、本に書いてあることは実践できても、本に書いていない問題に直面したら、なす術がありません。一歩踏み出せば、ベーシックで強力なビジネスの「武器」を手に入れられるのに、なぜそれを持とうとしないのか-。まるで素手で世界を戦おうとしているような日本の“丸腰”ビジネスマンは、見ていて怖く感じるほどです。

世の中に「まったく新しいこと」などない-柳井
何十年も前に書かれた本なのに、「これは、まるで我が社の現状のことを言っているのではないか」と驚かされたことがたくさんあります。まさに“温故知新”という孔子の言葉を身をもって実感するのです。先の見えない時代、道なき道を行かなければならない時代だからこそ、ドラッカーの哲学を知ることで、進むべき方向が見えてくるのではないかと思います。

今、ドラッカーから何を学ぶべきか-大前

フリースもヒートテックも「顧客の創造」だった-柳井
ドラッカーの哲学の中でも、私が最も影響を受けたのは、「顧客の創造」というキーワードです。彼は、これこそが「企業の目的」であると説いています。みなさんは成果に対する評価を上司だけに求めてはいないでしょうか?もちろん上司の評価は必要ですが、どんなビジネスであっても、最終的な評価を下すのは顧客です。要するに「企業側が何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を求めているか」を追及するのがビジネスです。

最も求められるのは「問題の本質を探る力」-大前
マニュアルに頼る傾向がある若者の問題は今に始まったことではありませんが、近頃ますます進んでいるビジネスマンのマニュアル志向は、やはり深刻だと思います。これは、本来持ち合わせている日本人の高い能力が、どんどん失われているということです。しかし逆に言うと、若くても、経験がなくても、問題を解決しているためのプロセスを学び、自ら考えて実行していけば、誰でもある程度の結果は出せるようになります。そうした力は先天的なものではなく、訓練すれば身につけられるものだからです。

世界が相手なら、チャンスは50倍広がる-柳井
僕はいつも社員たちに対して、「未来は現在よりも必ず明るくなると信じて、必死になれ」とハッパをかけています。そもそも、ここまで世界がグローバル化しているのに、日本に閉じこもって将来を悲観してばかりいる必要はありません。むしろチャンスは世界に広がっていると言えます。

目標なき日本人の「ロールモデル」は海外にある-大前

【ひとこと】
この本を読むとやる気が出る!というか、頑張っているものが報われる社会であるとつくづく思う。




2010年11月28日日曜日

11月22日~28日「この国を出よ(前編)」「クーリエ・ジャポン2011年1月号~フランス、幸せの新しいかたち~」

今週は英語の勉強を13時間、アナリストの勉強を30分しました。

【ひとこと】
クリティカルマスが来るのを待つばかりです。

【今週の本】
「この国を出よ」大前研一×柳井正著

プロローグ
もう黙っていられない-柳井正
今や日本は、世界の荒波の中で、羅針盤も舵も失って、ただ沈没を待つだけの難破船のように見えます。日本という国は消えてなくなってしまうのではないか。僕は本気でそう心配しています。世界はかつてないスピードで変容している。にもかかわらず、日本は自分の殻に閉じこもり、変化する環境への対応を放棄してしまったかのようです。バブル崩壊で“病人”となった日本が、どうすれば健康体を取り戻せるか。その処方箋を、グローバル化のうねりの中に身を置いて考えようともせず、本来、外科手術で摘出すべき病巣をそのままにして、ただ傷口に「緊急経済対策」という名の絆創膏を張り重ねてきたのが日本政府であり、それをよしとしたのが国民でした。僕はこれまで、政治的な発言をあまりしてきませんでした。自分にはそれほどの力があるとは思いませんが、皆さんに親しんでいただいているユニクロというブランドのおかげで、社長の僕が発言すれば様々な人から注目を集め、結果的に影響力を持ってしまうことを恐れたからです。それなのに、なぜ今、この本で政治や国家について語るのか。もう黙っていられないところまで、日本の危機が迫っているからです。本書での大前さんと僕の2人の議論が、今の日本人を変える原動力になってくれることを期待しています。

1<現状分析>絶望的状況なのに能天気な日本人
「失われた20年」に国民の財産300兆円が失われた-大前
バブル崩壊後の日本経済の停滞ぶりは「失われた10年」と呼ばれました。しかし、停滞はその後も続き、もはや「失われた20年」となっています。この「失われた20年」の間に、世界はどう変わったのか?中国やブラジル、インドなどの新興国が急成長を遂げ、アメリカ一国の「シングル・ヘゲモニー」から「多極化」の大きな流れが生まれました。日本のバブル経済がピークに達した1989年同時、中国のGDPは九州と同じ規模でした。それがこの20年で一気に追い越されたわけです。そして日本の代名詞とも言える「貿易立国」にも赤信号が灯りました。2008年度、日本は28年ぶりに貿易収支が赤字に転落。外貨準備の伸びが、2005年を境に止まりました。政府は今になって中枢港湾を拡充すると言っていますが、現実には輸出するものが少なくなり、東京、横浜、神戸などの港は、すでに世界のトップ20から姿を消しました。なぜ日本の生命線とも呼ぶべき貿易の分野で赤字が生まれたのか?それは、日本国内で作られる工業製品が国際競争力を失ってしまったからです。今や、中国やタイ、ベトナムなどに立地した日本資本の企業が作った製品を輸入する国に変わってしまったのです。1980年代のアメリカが、ちょうど今の日本と同じ状況でした。ただ、アメリカはその後、ソフトウェアや金融、通信などサービス業の新しい産業が生まれ、空洞化した刑事あの救世主となりました。製造業という「産業の4番バッター」の後継者作りを官民挙げて進めた努力の成果です。日本はどうでしょうか。繰り返されてきたのは「緊急経済対策」などの名目によるバラ撒きでした。古い産業の温存に貴重な資金を使い果たしてしまったのです。その額ざっと300兆円。しかも、この20年間、日本は給料が上がらないばかりか、聞こえてくるのは企業倒産や失業率の上昇など暗いニュースばかりです。約20年にわたり、先進国の中で日本だけが慢性的に需要が供給を下回る異例の状態に陥っていると指摘されています。この需給ギャップが、構造的なデフレ体質を日本にもたらしました。私はこのままでは、3年以内に日本は国債デフォルトの危機を迎えるだろうと考えています。

「まだ大丈夫」という錯覚はどこから生まれるのか-柳井
僕は、今の日本をさらに悲観的に見ています。大前さんが考えるよりも早いスピードで、日本が破綻する“Xデー”が近づいている気がします。自分の力で立ち上がってグローバル化の荒波に立ち向かおうという人は、明らかに少数派です。若者から働き盛りのサラリーマンまで、多くの日本人に共通するのは「そこそこの生活ができればいい」という非常に内向きな意識です。GDP成長率を見ると、日本はバブル崩壊後も平均で年1%近く伸びています。しかし、中国は8~10%、アメリカでさえ2~4%です。日本の1%は「停滞」ではなく、相対的には「没落」していると捉えなければならないのです。

今の日本は「ミッドウェー後」とそっくり-大前
ここまで日本が落ち込んだ失政の主犯は、もちろん政府と政治家です。しかし、柳井さんが指摘するように「政府が助けてくれるだろう」と期待して、口を開けて餌を待っている池の鯉のような企業や国民も一方的な被害者ではなく、程度の差こそあれ、“共犯”と言えます。政治家がダメ、それを監視するマスコミもダメ。そういう不幸を割り引いたとしても、今の政治を選択してきたのはやはり国民自身です。わかりやすいワンフレーズばかりを並べる政治家を選んだり、バラ撒き政策に目を奪われたり、あるいは政治家をタレントのように見てきた我々の責任なのです。民主党は結局のところ、20世紀の壮大な実験であった共産主義・社会主義の失敗や北欧の行き過ぎた社会民主主義の失敗から何も学んでいないことがはっきりしました。自民党も民主党も基本的な路線は“巨大政府主義”でまったく変わりません。国の税収は今の2倍以上ないと帳尻の合わない予算を組み、足りない分は国債という“将来からの借金”で穴埋めをしてやり繰りしています。振り返れば、太平洋戦争にも分岐点がありました。日本の連合艦隊が主力空母4隻を一挙に失い、以後、戦争の主導権をアメリカに握られたミッドウェー海戦です。ところが、同時の大本営は戦局を冷静に判断することができず、インパール作戦に至るまで勝ち目のない戦いに突っ込んでいったのです。ポツダム宣言受諾までに払った犠牲は計り知れません。今の日本は「ミッドウェー後」とそっくりです。今が最後の分岐点であり、剣が峰だという危機感で、勇気ある一歩を踏み出さなければなりません。

急成長アジアでは「もう日本は敵じゃない」-柳井
仕事でアジアへ言って最近感じるのが、日本を馬鹿にするような風潮が生まれつつあることです。世界の中で、日本は今や“三等国”に成り下がったのだと言ってもいいかもしれません。例えば、韓国。日本との間で何か問題が起きると過剰とも感じるほど反応してきた、反日感情の強い国です。しかし近年は、かつての「反日ポーズ」はほとんど見られません。それはなぜなのか?おそらく、日本が世界をリードしていた家電・エレクトロニクス製品などの分野で韓国勢が日本メーカーを蹴散らしてトップシェアを奪い、「もう日本は敵じゃない」という自信を持ったことの裏返しだと思うのです。

“ジャパン・パッシング”が本格化している-大前
世界経済のトレンドが先進国から新興国へと急激にシフトしていることを改めて見せつけられたのが、2008年秋のリーマン・ショック後に起きた世界金融危機です。欧米諸国がその後始末と景気てこ入れに追われるのを尻目に、新興国は堅調な内需に牽引されて力強い成長を続けました。なぜ欧米を不況の覆う中でも新興国が繁栄しているのか?一つは世界を徘徊する巨額の「ホームレス・マネー」が、より高くのリターンを求めるグローバル金融システムによって、新興国へ向かう仕掛けができたことが挙げられます。20~30年前は、投資マネーがそう簡単に新興国へと向かうことはありませんでした。なぜなら「カントリーリスク」が幅を利かせていたからです。ところが、今やカントリーリスクという言葉は死語になってしまったように感じます。世界のマネーの流れが劇的に変わったのです。もう一つは、21世紀の「新しい雁行モデル」が誕生したことです。1970~90年代のアジアでは、先頭の日本が競争力の弱くなった産業をあとに続くNIEs(新工業経済地域)に移管し、自らは産業の高度化を図るという“雁行モデル”によって、アジア全体の経済が底上げされました。しかし、この旧モデルは幕を下ろし、BRICsをはじめとした新興国がライバル意識をむき出しにして追いかけています。新しい雁行モデルが誕生した背景は、IT革命によって新興国が容易に先進国にキャッチアップできるようになったことです。IT革命以前は、いくら機械や設備、材料があっても、熟練した人材の育成に時間がかかるため、なKなか先進国には追いつけませんでした。ところがインターネットの普及によって、英語さえできれば瞬時に世界水準の教育や生産システムが学べるようになったのです。日本がバブル崩壊の後遺症に苦しんでいる間に、世界のマネーの流れは先進国から新興国へとドラスティックに変わり、日本の成長を支えてきた産業の国際競争力はかくも衰退してしまいました。もはや誰も日本に注目しない“ジャパン・パッシング(日本素通り)”が本格化しているのです。

“経済敗戦国ニッポン”は「世界の保養所」になる-柳井
日本企業の「日本脱出」の流れが今後ますます加速し、日本の株式市場の空洞化が進むのは避けられないでしょう。今や外国人投資家の間では、日本株を入れなくてもポートフォリオへの影響は限られると見切られているようにも見えます。“ジャパン・ナッシング(日本無視)”です。極論すれば、もはや日本はビジネスに適した場所ではなくなっているのです。語句は、日本がアジアの“保養所”に成り下がるような気がします。日本人は情緒的な民族でロジックが苦手な半面、繊細な美意識など感性の面で優れています。洗練されたものや本当に良いものを見分ける目を持っています。

今や世界は「日本破綻」に備え始めている-大前
“ジャパン・クラッシング”の恐怖は、ダメージが日本だけにとどまらず世界全体に及ぶ点にあります。もし我が国が国債デフォルトの危機に直面したら、日本が保有する約65兆円もの膨大な米国債を売り払わざるを得なくなり、今度はアメリカが窮地に追い込まれます。日本がアメリカを道連れにクラッシュしたら、世界経済は間違いなく崩壊します。国内はどうかと言うと、「国債は安全」という前提で国債を買ってきた金融機関と生命保険会社や損害保険会社がメルトダウン状態に陥ります。過去にデフォルトを起こしたアルゼンチンやロシアなどの例を見ると、「預金封鎖」の可能性が高いでしょう。その先に待っているのは、間違いなく「ハイパーインフレ」です。国は借金を減らすために、輪転機をフル回転させてお札の大増刷を行うからです。その結果、縁の価値は瞬く間に下がり、金融機関に留め置かれた預金はみるみる実質的な価値が目減りしていきます。ギリシャが今回の財政危機を招いた背景を見ると、日本との共通点が三つあります。まず、政府が悪化した財政の実情を国民に隠していたこと。もう一つは、予算のバラ撒きを続け、国民もそれに甘えてきたこと。そして、あり余るほどの公務員を抱え、しかも高い給与を払ってきたことです。

2<政治家と官僚の罪>誰がこの国をダメにしたのか?
発言がブレても許されるのは日本の政治家だけ-柳井
「何よりダメな日本」を作ってきたのが、政治家と官僚です。政治家について何よりも許せないのは、政策を言うだけ言っておいて、肝心の実行はしないという「嘘つき」な体質です。20107月の衆院選の前に、菅直人氏は「消費税10%」が必要だと明言していました。しかし参院選で民主党が惨敗した途端、菅氏は「消費税について発言したことが、唐突に受け取られた。お詫びしたい」と“前言撤回”してしまったのです。商売の世界では、昨日言ったことと今日言ったことが違う人は、決して信用されません。

民主党がマニフェストを実現できない理由-大前
私は過去約20年、国会議員が主催する「勉強会」なる集まりに何度も講師として招かれ、センセイたちに講義をしてきました。しかし結局、彼らが求めているのは、マスコミ受けするキーワードだけなのです。しかも、実行するかしないかは二の次。民主党のマニフェストを見た時に思ったのは、まるで「七夕飾りの短冊」のようだということです。「こうれなればいいな」と望むキーワードだけを書き込んだ“ウィッシュリスト”がぶら下がっているだけです。マスコミも個別の「短冊」を見ながら、「高校無償化」を実現できるのか、「子ども手当」の約束は守れるのか、と追及はしているのですが、根本的な問題である「高校は義務教育でもないのに、なぜ授業料を無償にするのか」「少子化対策に本当に子ども手当が有効なのか」などという議論は無視しています。

役所から保護されなかった企業ほど成長する-柳井
この先、信念と実行力を持ったリーダーが現れたとしても、まず経済が良くならなければ、国家の「運営費」となる税収がないという事態になる。また、総じて日本人は「官僚」を信用し過ぎだと思います。世界トップクラスの経済大国になったのは、国民と民間企業の努力の賜物なのに、“お上”つまり官僚たちは、まるで自分たちの手柄のように錯覚している。役人たちの姿勢は「お前たち民間企業は放っておくとロクなことをしないから、俺たちがすべてコントロールしてやる」と考えているように、僕の目には映ります。しかし実際は、“お上”のコントロールにされてきた業界は、ことごとく衰退しています。JALが典型的な例でしょう。

「理念なき連立」がバラ撒きの温床となる-大前
普天間問題の発端は、鳩山氏が政権交代前の総選挙の際に「できれば国外、最低でも県外に移設する」と明言していたことにあります。その発言を実現できなくなった鳩山氏は「あれは民主党の公約ではなかった」と言い出すなど、普天間問題をめぐっては数々の“嘘”がありました。2009年の政権交代で国民が選んだのは、「無駄遣いをやめる」と言っていた民主党だったはずです。それがいつの間にか「普天間飛行場は国外に」と主張する社民党や「郵政民営化は反対」と言う国民新党とくっついて連立を組んだことで、前に進めなくなってしまった。数合わせの目的の「理念なき連立」が生んだ悲劇と言ってもいいでしょう。

国の政治にも「経営的視点」が必要だ-柳井
収支を一般的な家計に置き換えて考えると、国の財政状況は理解しやすいかもしれません。税収が37兆円しかないのに92兆円を使ってしまう2010年度予算は、年収が370万円なのに、920万円も使ってしまうようなものです。しかも、この家庭には、1億円近くの借金があるのです。その返済のメドも立たないのに、毎年400万円の新しい借金をしている。国家の運営も、企業と同じような「経営的視点」が必要だと思いますが、この国にはビジョンもなければ「商品(政策)」もないし、「資金調達の手段」も考えていない。ましえや、それを実現する人材もいないという体たらくです。

過去の失敗に学ぼうとしない不思議の国-大前
国内では我が物顔で企業を規制する一方で、海外に対する外交力、交渉力という点ではあまりにお粗末なのも日本の特徴です。その理由の一つは、この国全体が「記憶喪失」に陥ったかのように過去の歴史を忘れているからです。例えば1970年代~1980年代には、貿易摩擦問題で日本はアメリカに一方的にバッシングされました。日本の政治家や官僚レベルでは、アメリカに太刀打ちできないということは、こうした歴史からも明らかです。日本人はそうした過去の失敗を反省した次に繋げることができません。それを私は「記憶喪失」と言っているのです。だから、いつまで経っても「したたかさ」を身につけることができないのです。

「成功者に厳しい税制」が国力を削ぐ-柳井
政府のメチャクチャなお金の使い方に対して国民は、「無駄遣いするのもいい加減にしろ」と、もっと怒るべきなのです。そういう納税者意識を持ちにくくしている源泉徴収制度は廃止すべきだと思います。ライブドア事件などで「稼ぐ」ことは悪いことであるかのような風潮が生まれましたが、それは違います。彼らは、お金を転がして「儲けて」いただけで、社会に役立つ商品を開発したり売ったりして「稼いで」いたわけではありません。「稼ぐ」というのは、人の役に立つモノやサービスを作って、その代わりにお金をいただき、そして納税するという「社会貢献」をすることなのです。国家レベルで「稼ぐ力」をつけたよい例が、1人当たりGDPで日本を抜いたシンガポールです。税率を安くしたら、世界中からマネーと優秀な人材が集まって繁栄し、結果として、国家財政も潤った。僕は、日本の税制が、急成長する企業に対して厳しい側面を持つことを身をもって味わった経験があります。1980年代後半、僕は当時、本格的なチェーン展開しないと生き残れないと判断し、出店スピードを速めたのですが、この際に、日本の税制が「企業の急成長ブレーキ」になっていることに気付いたのです。当時は、利益の約60%を税金で取られていました。例えば、2年連続で利益が10億円出たとしましょう。まず、この利益から6億円が法人税、事業税、法人住民税などに消えます。そして「予定納税」として、前年度の納税額の2分の1に当たる3億円を当年度半ばに納めなければなりません。出店スピードを上げようという時に、納税に追われて、なかなか成長することができない仕組みなのです。個人についても同じです。高額所得者の税率は所得税40%と住民税10%の合計50%です。これをさらに上げようという議論もありますが、ナンセンスです。そんなことをしたら「稼ぐ力」を持つ人材は、税率の低い国へ出て行ってしまいかねません。日本はますます空洞化していまうでしょう。

イギリスのキャメロン首相に学ぶべきこと-大前
イギリスで最近、面白い議論があったので紹介します。同国では、最優先課題である財政再建のため、政府が2010年度中に62億ポンド(8000億円)の歳出カットを断行する方針を打ち出しています。BBCの報道番組を見ていたら、歳出削減について、議論を戦わせていました。その中で、次のような二つの話が出てきたのです。一つは、警察関連予算の25%削減方針を巡る議論です。犯罪の増加を心配する国民に対し、政府側は「機械化も進んでおり、この程度は削減しても大丈夫」などと説明していました。もう一つは、大学の授業料について、国が補助を増やすことの是非でした。治安維持のための警察予算を大幅に削る一方で、義務教育でもない大学の授業料の補助金を増やすというのは、一見、矛盾しているようにも思えます。統計的には、イギリスでは大学を卒業して就職したほうが、大学に行かずに就職した人よりも将来手にする給料が高い。その高い給料の中から生涯納める税金も、大卒者のほうが15000ポンド(200万円)多くなる。したがって、授業料の補助金3000ポンド(40万円)を給付しても、将来的に15000ポンドが税金として国に戻ってくるので、投資としては5倍のリターンになる。実に具体的で経営的視点を持った議論ではありません。これこそ、国民の「稼ぐ力」を国がサポートする好例でしょう。

「クーリエ・ジャポン20111月号~フランス、幸せの新しいかたち~
日本と同じく経済成長率は低いし、いろいろな社会的な問題もあるけれど、どこか“豊かな人生”を満喫しているというイメージがあるフランス人。彼らは本当に幸せな毎日を送っているのでしょうか?

はじめに
21世紀の日本が生きのびていくヒントはヨーロッパにあります」と語るのは「ミスター円」の別称でも知られる榊原英資氏。「生き届いた福祉国家としてよく例に挙げられるのは北欧諸国ですが、これらの国は人口も少なく日本と比較するのは難しい。フランスは人口6500万人で国の規模としてはかなり大きいですが、福祉国家を実現しています」日本ではかつて「会社や家族が福祉を担っていた」と榊原氏は指摘します。それがこの10年ほどで雇用形態に大きな変化が生まれ、非正規雇用者が労働人口に占める割合は3分の1ほどにまで上昇しました。その一方で、核家族化はますます進行し、家族や地域社会がセイフティーネットとして機能しなくなっています。ちなみにフランスのGDPに占める政府の歳出の割合は60%前後。一方で日本や米国は30%台後半なので、フランスが日米と比べていかに大きな政府かどうかがわかるでしょう。もう一つ興味深いデータがあります。所得の再分配と相対的貧困率に関するものです。フランスは市場所得ベースでは24%っと高めの貧困率になっています(日本は16.5%)。ところが、税を徴収し、各種手当などを再分配した後の貧困率は、日本が13.5%とやや減少したに過ぎないのに対して、フランスは6.0%と劇的に下がっているのです。これらはフランスのみならず、他のヨーロッパ諸国でも同じです。日本でも近年、格差社会、中流層の崩壊といった現象が問題視されています。近い将来、フランスのように年収300万円があたりまえの社会になる可能性が高い。そうなったときに、セイフティーネットが充実したヨーロッパ型社会を目指すのか、医療保険にも入れない人がたくさんいるような米国型の社会を目指すのかというのは、究極の選択になるといってもよいでしょう。

1家族編
【家計】
フランス人は実際にどのような生活を送っているのか?それを知るためには“お財布”を見せてもらうのがいちばん、ということで、パリに暮らす二つの家族を取材した。はじめに訪れたのはアラプティット家。フランスの大学を卒業後、米国のバークレー大学で修士号を取得した夫のドゥニ(54)はエリート・エンジニアとしていくつもの会社で仕事をしてきた。この秋からはコンサルタント会社からフランスの電力公社に出向し、年収11万ユーロ(1200万円)を得ているというから、かなりの高収入である。夫人のイザベル(55)はフランスでは珍しい専業主婦だが、夫の稼ぎが充分なので働かないという選択肢も可能だったのだろう(フランスの母親の3人に2人が働いている)。夫婦には11歳の娘と8歳の息子がいる。2人の子供たちが通うのは私立の小学校。私立といっても学費は1人年間1080ユーロだというから日本の学校に比べれば安いものだ。学校給食は週に1度で1人年間140ユーロ。他の日は親たちが後退で子供たちを家に招いて食事をさせている。「これはフランスでも珍しいシステムですが、昼食代の節約にもなるし、栄養バランスの面でも安心です」と夫人は語る。専業主婦が多い地域でないと珍しいシステムだ。教育費あまりお金がかからないとすると、何に使うのか?やはり「バカンス」というのが、フランス人らしいところだろう。一家は今年の夏2週間ほどニューヨークに滞在した。旅費や滞在費は4500ユーロだというから、長い滞在費は450ユーロだというから、長い滞在の割には安く上がっている。同じく夫婦と子供2人の4人家族で暮らすマニュアリ家を訪ねた。ご主人のアクセル(44)は市内の高校で生物・科学を教えている。月収は2100ユーロほど。妻のブリジット(41)も郊外の高校で生物学を教えており、月収は3000ユーロ。2人で年収約6万ユーロほどなので、パリの住民としては中流層といってよいだろう。ちなみにフランスの給与体系は日本のように年功序列式ではないので、年を取れば給与が上がるということはない。あるとしても非常に緩やかな上昇だ。まら、年2回のボーナスも存在しない。マニュアリ家の子供は15歳と12歳の女の子。バカンスは、ほとんどを田舎の親戚のところで過ごす。庭仕事をしたり、収穫した果物でジャムを作ったりしてのんびりするという。ときどきは海外旅行もする。今年の夏は10日間のイタリア旅行を楽しんだ。決して贅沢な消費はしない。でも家族と過ごす時間は大切にする。いかにもフランスらしい価値観だといえるだろう。

【ライフスタイル】
約束の時間から遅れること数分。クリストフが家に戻ってきた。彼が自動車を持たなくなって、もう随分たつ。家の庭では、6人の子供たちがかけまわっている。彼らの“脱成長ライフ”について取材を始めると、クリストフはまず「脱成長」という言葉を好まず、自分たちが実践しているのは“意志的シンプルライフ”に過ぎない、と言ってきた。次第に、物を買い続けては借金が増えるというサイクルに、彼らは嫌気がさしてきたと言う。「買っているのは、実は必要ないものばかりだと気づいて、ローンやクレジットカードでの買い物は一切やめにしたんだ」この家族は月1400ユーロ(154000)で暮らしている。クリストフは公務員。彼にとって自由な時間は、お金よりも大切だ。銀行には最低限度の額しか預金していない。毎週一定の金額を封筒に入れ、そのなかで生活費をやりくりする。環境破壊への懸念や自然への回帰、大量消費生活からの脱却といった思想が視野を広げるようになったのは、いまに始まったことではない。200911月の調査ではフランス人の27%が「消費を意識的に減らそうと努めている」と答えている。たとえばマルセイユで暮らすフランソワーズ。背が高く美しいこの女性もまた、“意志的シンプルライフ”を実践している一人だ。機能重視の古着を身につけ、化粧はしない。手洗いや入浴は石鹸を使い、洗顔はシアバターを用いている。買い物は地元ですませ、包装されている物はほとんど買わない。出すゴミの量を最小限にしたいからだ。携帯電話は家に1台、家族みんなで使用する。暖房はガスとソーラーシステムを併用、室温は19℃に設定し、寒いときはセーターを重ね着する。肉を食べるのは週末の食事のみ。テレビゲームは禁止で、ヴァカンスは、家族を受け入れてくれる農家に滞在する。フランスではいま、脱成長という思想はどのような力を持っているのか。金融危機以降、脱成長という考えに注目が集まるようになったのは明らかで、もはや「ヒッピーたちの陰気な生活スタイル」とは見られていない。“脱成長スタイル”にレベルがあるとしたら、次のステップはどのようなものになるだろう。フランソワーズとその夫は、フランス南東部のマノスク近郊、フォルカルキエに居を移そうと計画している。

2若者編
20歳になったばかりのエリーズ・シャルヴァンは女子学生。エリーズが通うのは普通の大学ではなく、エリート養成のためのグランゼコールと呼ばれる学校のひとつ、パリ欧州高等商業学校(ESCP)だ。入学者数200人という狭き門に見事合格。グランゼゴールというのは、フランス独自の専門高等教育機関で、大学とは異なる少数精鋭の学校である。全国に約200校が存在している。たとえば、有名なエコール・ポリテクニークは18世紀末に設立され、理工系エリートを養成している。この学校の出身者には、カルロス・ゴーンがいる。ジャック・シラク前大統領など数々の政治家の出身校である国立行政学院(ENA)もグランゼコールのひとつ。一般的に、フランスの学生はアルバイト探しに苦労するという。しかし、ESCPでは、希望すれば学校が積極的に紹介してくれるし、授業時間も学生がアルバイトしやすいように組まれている。学校で必要な参考書は一部が無料で配布されるが、それ以外の書籍は古本で買い、学年が終わると古本屋に売る。彼女に限らず、大半の学生がすることらしい。エリーズは衣類にあまりお金をかけない。月50ユーロくらいだ。時折23人の友達と相談して、別々の服を買い、それを交換しながら着て楽しむのだという。少ない予算でも、おしゃれを大切にするパリジェンヌらしい発想だ。次に、ピアノと音声のセンセイをして生計を立てている33歳の独身女性、リーズ・シュヴェに話を聞いた。「15年前から教えていますが、これだけで食べていけるようになったのは、56年前から。それ以前は喫茶店のウェイトレスなどいろいろな仕事をして、収入の足しにしていました。今の生活には満足しています。自由な時間はあるし、自分のためのピアノの時間も持てるのですから」そう語る彼女はひっきりなしに笑う。底抜けに明るい人だ。しかし、余裕のある生活はしていない。夏のバカンスとクリスマスの時期は、生徒が皆休暇をとるので収入はなくなる。平均収入は月1200ユーロがやっと。幸い住居が彼女の持ち家だから、それなりのレベルの暮らしができるのだろう。リーズが最近楽しんでいるのが、毎週日曜日の夕方受けているタンゴのレッスンだ。まず1時間授業があり、その後レベルに関係なくいろいろなパートナーと踊る時間がある。NPOが行っている文化活動なので、レッスン料に毎回10ユーロを払えばいいという。レッスンが終わると、皆が自分でつくったケーキを並べたりして、とても楽しいと話す。

3リタイア編
「自分はとても恵まれていると思う」。そう語るベアトリスは62歳の未亡人。25年前に日本人の夫に先立たれ、1年前から年金でひとり暮らしをしている。なぜ恵まれていると思うのだろうか?理由は自分の持ち家に住んでいることだと彼女は言う。ベアトリスが受け取っている年金の額は2200ユーロ。退職時の給料とほぼ同じ金額。雑誌編集長のアシスタントをしていた。公的年金に加えて、会社が独自に参加している共済保険年金があったおかげで、これだけの金額を受け取っている。公的年金だけでは、恐らく1200ユーロ程度しかもらえなかったはずだという。今年33歳になる娘があり、6歳の孫娘とロンドンに住んでいる。シングルマザーだ。ベアトリスが一番気にかけているのは、自分の暮らしではなく、娘と孫の将来である。娘は働いているが、ロンドンは物価が高く、ベアトリスの援助を受けてなんとか暮らしている。毎月900ユーロも送金している。彼女はどんな日常生活を送っているのだろう。月の食費はわずか150ユーロ。「太る傾向があるから気をつけているし、銀行にあまりお金が残っていない月は、数日間はなにも買わずに節約します。でも、クリスマスや娘と孫のお誕生日には奮発します。フォアグラやスモークサーモンもテーブルに並べますから、楽に100ユーロは使うでしょう!」年金で暮らし始めても、けっして無気力にならずに、娘と孫に計り知れない愛情を注ぎ、亡き夫を片時も忘れないでいる。話を聞いていると、ベアトリスの第二の人生がとても中身の濃いものだと思えた。清貧な生活は、ファッショナブルなフランスのイメージにマッチしないかもしれない。日本と違う社会保障制度をつくったフランスという国の、ひとつの幸せの形を見つけたように思う。

【ひとこと】
日本もフランスも経済が厳しいのは同じであるでしょう。また、フランス人のように脱成長的な生活をしたいと思う人は日本にもいるでしょう。でも日本ではしている人が少ない・・・人の目が気になるからでしょう。幸せとは自分が感じるものだと思います。人にどう思われる、見られるかを気にしているうちは真の幸せを感じることはできないでしょう。